Search
日本
1901年 ~ 1910年 
1901年 ~ 1910年
1901年

ラーシュ・マグナス・エリクソンは会長を辞任するが代表取締役会に留まる。ヴィルヘルム・モンテリウス会長に指名される。L.M .エリクソン株式会社(LME)はストックホルムス・アルメンテ・テレホンアクチェボラグ(SAT)の電話機製造工場を引き継ぐ。SATとスウェーデン・デンマーク銀行の合弁企業がスベンスカ・ダンスク・リスカ・テレフォンアクチェボラゲットを設立。モスクワで18年間電話サービスを行う許可を取得する。同時期、テレホンアクチェボラゲット・セーデルグレンが創立され、同様の許可をワルシャワで取得。

 ブースが電気掃除機を発明。
 与謝野晶子が「みだれ髪」を発表。

1902年

LMEはニューヨークに「スウェーデン金属貿易雇用協会」を開設。同協会で働く従業員は年間、半月分の休暇を与えられる。

 シベリア横断鉄道、ウラジオストックからハバロフスク間が開通。
 正露丸の発売。

1903年

ラーシュ・マグナス・エリスソンは代表取締役会を辞任する。当時の最大輸出市場である英国では、LME と国有電話会社が、英国 L.M. エリクソン電話製造株式会社を設立し、ビーストンに工場を建設。LME は金属貿易雇用協会による工場閉鎖への参加を拒み、協会から脱退する。

 ロンドンで国際電信会議、ベルリンで国際無線電報会議が開催された。また、ライト兄弟が、フライヤー号で飛行に成功。
 家庭でもビールが飲まれるようになり、新聞広告も増える。

1904年

L.M. エリクソン電話製造会社の工場建設予定地として米国のニューヨークにあるバッファローの土地が購入される。

 ロールス・ロイス第一号が完成。
 長崎と台湾の基隆間で、無線電信の交信に成功。

1905年

LME 、SAT 並びにマルクス・ウォレンバーグによる合弁企業がメキシコで電話サービスの許可を得る。

 エジソンが、エジソン蓄電池を発明。NY 初の地下鉄が開通。

1906年

LMEはネルケのメガトルプに肺病の従業員のためにサナトリウムを建設し、治療費は無料とする。

 島崎藤村が「破壊」を、夏目漱石が「坊ちゃん」「草枕」を、発表。

1907年

電話セットの年間生産高は82,853個に上がる。メキシコにおける電話サービスが始動する。

 ハーバー、ネルンストらの研究のもとに、高圧高温下のアンモニア合成工業化を確立。
 ラムネのかわりに、学生の間で、サイダーが流行となる。

1908年

SATの電話事業は新規に創立された子会社、アクチェボラゲット・ストックホルムステレフォンの手にゆだねられる。LMEはバンコクにおける電話網の近代化を依頼される。エリクソンの共同事業者であるカール・ヨハン・アンダーソンが引退する。

 フォード社が、T型自動車を発売。アメリカでベストセラー車になる。
 巡査派出所が「交番」と改称された。

1909年

H.T. セーデルグレンスが他界する。メキシコの合弁会社における電話事業は新設されたメキシカンスカ・テレフォンアクチェボラゲット・エリクソンに引き継がれる。他界したアクセル・ボストロームの後任としてヘミング・ヨハンソンが社長に任命される。完全に金属でメッキされた最初の電話器が登場。

 電話の普及台数が 11,2977 台に。また、東京市内の自動車台数は 38 台だった。

1910年

セーデルグレンスの後任としてゴットリブ・ピルツが SAT によって支配されたスウェーデン内外における電話網加入者は記録的な伸びを示す。

 アメリカで、自動交換機が完成し、電話がより実用的なものに。
 横浜オデオン座が日本最初の洋画専門館として開館。