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日本
1931年 ~ 1940年 
1931年 ~ 1940年
1931年

クルーゲル&トールはL.M .エリクソン株式会社(LME)における議決権の大多数をインターナショナル・テレフォン・アンド・テレグラフコーポレーション( ITT )へ売却。このあとITTはLME株の保証のために、この議決権購入をクルーゲル&トールへの貸し付けという形に変える。また、プラスティックケースを使用した初の電話が発明される。

 ニューヨーク、エンパイヤステートビルが完成する。
 東海道線に3等寝台車登場。上段80銭、中段と下段は1円50銭だった。

1932年

イヴァル・クルーゲルが他界し、LMEは破産の危機にみまわれる。運営委員会が設置され、役員会と共に債務先などとの交渉がなされたが、LMEはスウェーデンやその他の外資系銀行から支払猶予期間を延長してもらう。1931年度における赤字額は2,270万クローネに。

 ルスカとクノールは、電子顕微鏡を発明する。
 ダイヤル式公衆電話が、設置される。

1933年

会長にバルデマル・ボルクブィスト、副社長にマルクス・ブァレンベリィ、社長に株式会社ボフォースの社長であった、ハンス・Th・ホルンがそれそれ就任。この企業の再編成によりコスト削減を目指した。Article of Association(連合に関する条項)の改正後、海外の株主に対する議決権が増加され、ITTはイヴァル・クルーゲルが保証した株式より、およそ34%にあたる議決権を確保。また、産業労働者連盟(The Union of the Industrial Salaried Employees Association) が設立される。

 ナチス政党成立。ヒトラーは、国家主席に就任する。
 盆踊り「東京音頭」が、熱狂的に流行する。全国で踊られる。

1934年

経営拡大にもかかわらず、組織の再編によりこの年のコストは26万クローネも削減に成功。赤字もおよそ 1,550万クローネ減少する。また、ティレバルケットがLMEのタイム報告マシーンを導入する。

 電話機はアメリカで、1700万台。イギリスで200万台。全国で3300台利用される。
 東京市の人口が、566万3350人と発表される。

1935年

景気が世界的に好転。LME はスウェーデン議会に電子投票マシーンを設置する。また、俸給者の年金保険のための社員年金組合(Staff Pension Society)に参加。

 デュポン社のカロザースは、ポリマー66(ナイロン)を開発する。
 男性の平均寿命は44.8歳。女性は46.5歳だった。

1936年

営業活動の強化により、売上げ上昇。

 「ライフ」が創刊される。第1号38万部を売り上げる。
 「装苑」が創刊される。32ページで、10銭だった。

1937年

株資金は30%減少。額面価格は50クローネから35クローネになる。この金額は予備費として計上された。ストックホルム郊外のミッドソンマールクランセンに新しい工場やオフィスが建てられる。

 バスク地方のゲルニカ市を、独空軍が爆撃。同年、ピカソがパリ万博に絵画「ゲルニカ」を出展する。
 普通乗用車保有台数が、戦前最高の5万台を突破する。

1938年

ミッドソンマールクランセンで新しいビル建設の初の大規模なパーティが催される。これまでのスウェーデン史上、最も盛大な棟上げとなる。

 イギリス、エセックスの電話局で、世界初の自動電話交換が開始される。
 東京、銀座三丁目にホットドックの屋台が登場する。

1939年

第二次世界大戦勃発。ポーランドの電話オペレーション企業、PASTは株ローンの利息返済、償却が不可能となり、LMEがこれらの義務を負う。従って、この年の純利益は202,000クローネまで減少する。

 第二次世界大戦勃発。
 電話加入者が、100万人を超えた。

1940年

ミッドソンマールクランセンへの移転始まる。LMEはパナマに持株会社、Teleric, Inc. を設立。経営者グループの利益を確保し、西半球における主要資産を運営管理する。

 英は仏に宣戦布告。独軍は、パリを占領する。
 贅沢料理禁止令が公布。朝食1円、昼食2円50銭。夕食が、5円を越えるものは禁止された。