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日本
1951年 ~ 1960年 
1951年 ~ 1960年
1951年

L.M .エリクソン株式会社(LME)の創業75周年記念がスカンセン(野外博物館)で展示等の催しと共に行われる。記念祭と併せて、社員等の為に100万クローネを割り当てる。また、米国オハイオ州ガリオンにあるノース・エレクトリック製造(株)の株を購入。

 アメリカで原子力発電に成功。
 パチンコが大流行する。また、初のプロレス試合が開催される。

1952年

米国ウェスタン・エレクトリック・カンパニーと特許権の交換合意がなされる。LMEの500万台目の電話器は、カールスクローナの工場で作られる。テレベルケットの同軸ケーブルがヨーテボリィとストックホルム間で開設される。 装置はLMEが調達し、1 同軸ケーブルペアで960の同時会話が可能になる。

 イギリスで、エリザベス2世が即位。
 黒澤明の映画「羅生門」が、アカデミー賞特別賞を受賞する。

1953年

ブァルデマル・ボリィクビストが会長の座を退く。後継者となったのは、健康問題を理由に社長の座を退いたヘルゲ ・エリクソン。代わって、前営業総部長であったスベン・ツーレ・オベリィが社長に就任。ヘルゲ・エリクソンが他界すると、マルクス・ブァレンベリィが代表取締役会で会長に選ばれる。

 アメリカで映画「ローマの休日」が、フランスで映画「禁じられた遊び」が製作される。
 東京・青山に初のスーパーマーケットが、開店する。

1954年

スベンスカ・ラジオアクチェボラゲットがテレビの連続生産を開始。オーストラリアで初の子会社が設立される。また、ダームスタットにて研究開発センターが設立される。

 アメリカ、ベル研究所は太陽電池を発明する。
 力道山、木村組とシャープ兄弟の対戦に、プロレス熱が高まる。また、女性たちには、ヘッ プバーンカットが流行する。

1955年

株の発行により増資され、1億2,230万クローネから1億6,210万クローネへ資本金が増える。ソーデルハムとカールス クローナの工場が拡張されはじめる。ブラジルのSao Jose dos Campos でエリクソン do Brasil Comercio e Industria S.A.が工場を開設。スウェーデンの経営グループ企業は、夏期に土曜日を5回休日とし、その年の残りの うちでこの休日を使いきるものとした。

 相対性理論を導いた、アルベルト・アインシュタインが死去。
 50円のニッケル硬貨を発行された。

1956年

スウェーデン企業にて既に6百万台目の電話が製造される。エリコフォンと名付けられた新しい「全機能一体型」電 話器は大きな注目を浴び、連続生産される運びとなる。LMEは通信評議会との契約で、未来の自動交換機の電子化の重要性に着眼し、研究開発の協力に携わる。

 イスラエル軍が、エジプト侵入。第 2 次中東戦争が勃発する。
 初の分譲マンションが東京、四谷に建てられた。一戸、400万~700万円だった。

1957年

スベンスカ・ラジオアクチェボラゲットがTVの生産需要の増加により、記録的な売上を達成。西海岸で最初の通信工場、ミョルンダル工場が開設される。

 ソビエトが世界初の人工衛星、スプートニックの打ち上げに成功する。
 熱海に初のモーテルが開業された。一泊1000円だった。

1958年

自動電話交換機のクロスバーシステムが大きな話題を呼ぶ。ミッドソンマールクランセンでは研究開発により力が注 がれる。ラウドスピーカー電話、エリコブォクスが導入される。スウェーデンのグループ企業では19の労働管理委員会がこのときまでに設けられ、この年、82の会議が開かれる。

 ソビエトに続き、アメリカも人工衛星エクスプローラーの打ち上げに成功する。また、フラフープが大流行する。
 日産、トヨタが、アメリカに自動車を輸出し始める。

1959年

テレベルケットは自動交換機のメインステーション用と、大型手動交換機の接続用にエリコフォンを認定する。オー ストラリアの郵政省はLMEのクロスバーシステムを新しい自動システムの基準として採用。

 フランスで、ゴダールやトリュフォーら、ヌーベルバーグの映画監督が台頭。
 電話の台数が、300万台を突破する。東京の人口が、900万人を突破する。

1960年

あるスウェーデンの合弁企業がDr. マルクス・ブァレンベリィの指導の下、LMEの持ち株のうち、ITT株を全面的 に再購入。これにより議決権の34パーセントを占めることとなる。百万台目の「500交換機」の生産は、ソーデル ハム工場から出荷されることとなる。

 アメリカでCGによる航空機設計が実用化される。
 水木しげるが「鬼太郎夜話」を、藤子不ニ雄が「オバケのQ太郎」を発表。